5:02 AM投稿記事の長さ:X JAPANの紅 × 7.6個 くらい

デスボイスは市民権を得られるのか?


トップイメージ

皆様いかがお過ごしであろうか? 最近Fear,and Loathing in LasVegasばっか聴いてる野地(トップ画)である。

というのも、この前初日だけだがLUNATIC FESTへと足を運んだ時に一番印象に残ったのが彼らだったからだ。

ピコリーモというジャンル自体はラスベガスを含めそれなりに知っていたのだが(海外だとAttack Attack!とかHouse vs Hurricane、日本だともう解散してしまったみたいだけどAshley Scared The Skyとか)、やはり代表格と言われるだけあってLIVEがすごく楽しかった。最後のRave-up Tonightで最前列の観客達にもみくちゃにされつつも一緒に盛り上がったのはいい思い出である。

前述のRave-up Tonight。カッコ良い。

そしてここ最近、そんなラスベガスをネットで調べていると、案外アニメの主題歌なんかに適用されているようで驚いた(そしてそこから知った極黒のブリュンヒルデという漫画を最近読み始めた。メディア連鎖現象とはまさにこのことである)。
確かにメタルという括りの中ではかなり聴きやすい方ではあるし、キャッチーさで言ったらそこらのJ-POPにも負けてはいない。

しかし、(決して差別はしていないが)もうちょっと軽めでパワーはあれど、破壊衝動とかよりも勇気を煽ってくるような曲たちに慣れたアニメの視聴者たちにラスベガスのような曲が受け入れられるのだろか。かの有名なマーティ・フリードマンの発言を勝手に意訳するに、メタラーとオタクは似ている生き物らしいので、意外といいかも? と思いつつ2chやニコニコのコメントを拾ってみた。

演奏に関しては概ね好評なのだが、やはりというべきか、彼らが一番拒否反応を示していたのがデスボイスであった。

デスボイスという選択肢

デスボイスとは日本でだけ通じる、いわゆる和製英語で、海外では主にグロウルとかガテラル、スクリームとか呼ばれている(ちなみに、これら呼び方が指すのはそれぞれ違うデスボイスである。デスボイスにも色々種類があるのだ)。

デスボイスが楽曲に与えるのは、基本的に邪悪で暴力的な印象である。

通常のクリーンボイスに比べ、「叫び」とは本来動物が相手を威嚇するとき、または緊急時に発するものであり、それに近いデスボイスを聴いた人間は暴力的な印象を受けてしまうのだ。
加えて、叫びよりももっと低く、唸るような声には人ならざるものの声、という意味も発生し、リスナーに与える印象はますます不気味なものになる。

つまり、デスボイスというモノ自体、人間にとってはイレギュラーなものであり、それが使用された音楽にもイレギュラー性が付与されることになるのは当たり前だ。

しかしデスメタルなどの世界では、もはやデスボイスはデファクトスタンダードな存在である。
そうでなくても、メタル界では一つの選択肢であるし、その選択肢に嫌悪感を覚える人も少ない。

生物的にイレギュラーだとしても、人間は慣れという機能を備えた生物である。それが音楽のために必要な音だと理解すれば、それを楽しむことは可能なのだ(全然たとえになってないかもしれないが、アルコールのようなものである)。

つまりそういう音楽好きのリスナーは、デスボイスが持つそういうマイナスイメージを楽曲の色として捉え、日々の鬱憤やストレスにめがけて投げつけるモノにしたり、踊り盛り上がる理由にしたりできるであろう。

なので前述した通り、リスナーが「慣れている」メタル界ではデスボイスというものは有用な選択肢となりうる。

反面、「慣れていない」リスナーへは有用な選択肢とは言えない。歌詞の可聴性を比較的大事にするリスナーにも良くないだろう。

ではどうするか。結局、国規模でリスナーを慣れさせるしかないのである。いわゆる市民権というヤツだ。

デスボイスは市民権を得られるのか?

個人的にデスボイスは大好きである。Arch Enemyの元ボーカルであるアンジェラ・ゴゾウが「私の声は打楽器のような役割」と発言した通り、普通ボーカルが隠してしまう曲のいいところをバックの演奏陣に譲りつつ、パワーはより感じさせるデスボイスが大好きである。

しかし、それは少数派の意見であり、前述の理由により一般の方々がデスボイスに対して嫌悪感を抱くのは無理もない。
一つの音楽的表現だ、と音楽的ストレートなイメージを持つ人もいれば、やだキモチワルイ、と生物的ストレートなイメージを持つ人もいる。

事実、現代日本の音楽産業を支配する層には頑なに拒まれているのが現状だ。ここで言う支配する層とは、なにもどこぞのプロデューサーや社長のみを指すものではない。それら音楽の消費者こ、とリスナーも含めた人々も含めたものである。

それはそれで価値があると自分は思うのだが、やはりジャニーズやアイドルの歌う曲のほとんど慣れなく楽しめる音楽」である。慣れを必要とする音楽の対局に位置する彼らの楽曲が、日本の音楽産業のみならず他メディアの大きな部分に影響している間は、デスボイスはアンダーグラウンドなもので有り続けるだろう。

だが、状況は少しずつだが変わってきている。一時は死んだと言われたバンドブームだが、海外に負けじとラウドなスタイルを志向するバンドが増えてきたのである。

デスボイスも元来はヴィジュアル系のみが受け入れられていた印象があるが、最近はよりラウドな方面へと進化したロックバンドが用いるケースも増えている。特に、サビの美しいクリーンボーカルに対する荒々しいデスボイス、といった用法はもう一般的となってきたと言ってもいいだろう。

それらバンドが、冒頭で述べたラスベガスのようにアニソンなどにタイアップされる場合もあり、比較的新しい他メディアによるプッシュもちらほらと見られる。

他メディアに利用されるということはすなわち、一般へのニーズが多少なりとも出てきたということだ。もちろん、デスボイスに嫌悪感を抱く人間は出てくるが、それを差し引いても価値が有る、と判断された証である。

現在のラウドミュージックは、一部のメディア制作者に価値認められ、一般リスナーに判断を委ねている時期に差し掛かっていると言えるだろう。それらバンドのファンが増えるのはもちろん重要なことなのだが、そのバンドのファン以外の一般人に対しても価値を認めさせてこそ、市民権は発生する。

別にアンダーグラウンドなままでいいじゃん、俺は好きだぜ! というファンも多いし、バンド自身がそう思っているケースも多いだろう。しかし、せっかくいい物を持っている音楽が世間から疎まれる存在のまま終わるのは惜しい。

世間が嫌悪感を乗り越えその先にある魅力に気づけば、埋もれていたより多くの多種多様なバンドが表舞台へと出ていき、また新たな芽を育てていくし、リスナーにはより多くの選択肢が与えられるだろう。

批判があるかもしれないし、気持ち悪がられることもあるかもしれないが、デスボイスを用いる今の若手バンドは大いに胸を張って活動してもらいたい。
日本でデスボイスを受け入れる土壌はできあがりつつあるし、それを完成させるのは若きバンド達だと思う。

冒頭の、デスボイスに嫌悪感を抱いていた彼らが「いい曲だった!」と言ってくれる日は近いかも知れない。

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